【感想】井上荒野「キャベツ炒めに捧ぐ」を読了。60代になってもトキメキたい!

本日は、井上荒野さんの「キャベツ炒めに捧ぐ」という小説を紹介いたします。

もちろんタイトルと表紙絵の通り、そして私の期待通り、美味しいお料理がたくさん出てくるこの作品は文章を目で追っているだけでもよだれが出てきそう。

お母さんの手料理が恋しくなってしまうような素朴で田舎風な料理名の数々に胸が躍ります。

食べ物を大切に扱っている表現がとても素敵で、食材への感謝の気持ちが読み手にも手に取るように伝わってきます。

ストーリー

東京の私鉄沿線の、各駅停車しか停まらない小さな町の、ささやかな商店街の中に「ここ家」はある。

毎日たくさんのお惣菜に囲まれたこの惣菜屋はいつもにぎやか。

大きな笑い声が特徴のオーナー江子に愛想がないむっつり麻津子、内向的でひかえめな郁子が切り盛りする「ここ家」で明らかになっていく3人の過去とは。

あぁ、ここで働いていてよかった。大人な女性たちが抱える愛しくて切ない記憶の数々…

季節の食材と美味しいお惣菜とともに癒えていく。

こんな方におススメ!

・家庭的なお料理が好き
・楽しいと思える仕事がしたい
・恋がしたい
・50〜60歳の女性

読みやすさ

ストーリー
(4.0)

構成
(3.5)

登場人物
(4.5)

Total
(1.0)

小説は薄く11章から構成されています。次々と事が進んでいきますが展開が早いほうが飽きずに読み進めていけると思います。

そこまで深くて重い内容ではなく、クスクス笑ってしまうシーンも出てきますので割と気軽に読み終えてしまいます。

電車の中や、旅行中やカフェに居るときなど、少し時間が空いたときにいかがでしょうか。

見どころ

主人公が40~50台の女性ということなので上記のおススメ欄に書き足しましたが、ギリギリ20代の私でも十分楽しめました。

やはり見どころは、江子がご飯をつくっているところかな。個人的にですが。「ここ家」のオーナーだけあって料理が好きなんだなあというか、美味しい食材を大事に大事
に手間暇かけて調理するという心得が日常的になっているのが伝わってきて素敵です。

3人それぞれの”大切な人”というのが主体のお話ですが、3人の料理に対する想いや、いつしか「ここ家」を拠り所にしているところが垣間見える瞬間が好きです。

感想 -お気に入りの言葉を添えて-

ここからは、私の心に残った台詞や文を抜き出して個人的な感想を自由きままに書いていきます。

興味がある方は覗いてみてください。意見交換などできたら嬉しいなと思っています。

ネタバレが含まれています。まだ完読していない方は、どうぞそちらに移ってください。

もし、読み終わった後、気が向いたらまた遊びに来てください^^お待ちしております。

郁子の芋版

人生から何かがきえていくのはさびしいものだ。それがとるに足らないもので、気づかぬうちに消えてしまうものならば、なおさら。

息子を亡くし夫も亡くし、一人取り残された郁子は缶ビール片手にふと思い出す。結婚以降、習慣化されつつあった芋版づくりのことを。

とても共感してしまった。なんであんなことしてたんだろうと今になって振り返ると滑稽で笑えてくるけど、あの時は一生懸命やっていてそれでいて楽しかった。

必要ではなくてそこまで重要でないから記憶も曖昧で、いつの間にか止めていたこと。今ふと思い返す瞬間がくるとそのときの取り囲んでいた思い出が一気に蘇ってくるのである。

年賀状もその一つ。毎年毎年、やりたくないと思いながら母と一緒に手作りしていた年賀状もいつの日か年賀状さえ出さなくなっていた。

ふと実家に帰り、思い出したときはとても寂しい気持ちになった。叱られた記憶、誉めてくれた記憶、二人でこれはいいこれはだめだと意見を言い合いっこしたときの記憶。。

あぁ、もうあの時にはもどれないのか、と。

郁子は、よくお酒を飲みながらゾロゾロと記憶を引っ張り出しては浸っている。

くすっと笑っているときもあれば悔やんでいる時もあるし、泣いてしまうときもある。

記憶って、どんなに些細なことでも人間の脳の片隅に残って生きているんだな。

江子のキース

助手席に置いた紙袋の中で、キースとダイアンがカチンとキスをした。

夫、白山に好きな人ができたと言われ離婚をした江子。彼女は未だに白山に電話をしたり、彼の今の恋人がいるのもお構いなしに彼の家に遊びに行ってしまう。

自分が惨めでかっこ悪いということは百も承知だけれど、彼への想いやこれまでの幸せだったころの記憶には勝てず会いに行ってしまう江子に胸打たれる。恋愛に歳なんて関係ない。

女は、恋をすると無力な少女のようになる。

いくら無駄だと思っても追ってしまう。どうしようもない気持ち。痛いほど分かるし、読んでいてとても切ない。

カップル用のマグカップを購入した江子は、白山に「あたし、結婚するかもしない」と宣言する。これは、白山の気を引こうとしているのだろうか。

それとも私は自立するのよ、と安心いや突き放そうとしているのか。

この第八章の最後の文は、江子のどこか寂しそうな顔を連想させ心に余韻が残る。

人は何かを得た瞬間に、それを失う危険を得るのだ。それがいやなら、最初から何も受け取らないしかない。

麻津子のダーリンを探している時に江子は自分と白山との記憶と重ね合わせている。

こんなことなら何もかも上手くいかなきゃよかった。

そうしたらこんなに後々辛い思いを引きずらなくてすむのに。

人の気持ちは、どう頑張っても、努力してもどうにもならないことを私は学生の時の失恋で学んだ。それは、勉強とかスポーツとかある程度の目的地まで努力して頑張ればいいという単純なものではない。

答えがなくてどうすればいいか分からなくて、自分をどう変えれば振り向いてもらえるか一生懸命考えて、、それでも彼が好きになった子には叶わなかった。

ーーーー江子はよく笑う。甲高い大きな声で。

それは、本当の自分の感情を隠そうと無理しているのか。傷かないように無意識に自分を守っているのか。

そんなことを思った。健気で一生懸命な彼女はどんな気持ちでお店を続けているのだろう。

最後、江子は白山との関係に終止符を打つかのように終わる。彼女は、成長した自分を喜しく誇らしくあの甲高い声で笑っていた。

時が解決してくれたのか。いや、今こうして自分があるのは彼のおかげであって幸せになるための通過点であったと思えたのではないか。

そう思いたい。

最後に

この物語を読んでいると、なぜだか不思議な気持ちになる。登場人物は年上の女性たちなのになぜか共感でき昔の懐かしい思い出が蘇ってきます。

いくら歳をとっても恋愛をしていたいなと思えるような一冊でした。そ

して、全ての出会いや出来事に意味があり、それは自身の糧、エネルギーとなっているのかな、なんて思います。そう、毎日食べる一食一食もすべて。

井上荒野さん、素晴らしい物語をありがとうございました。

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