謎解きと繋がりと比喩を堪能する読書体験。村上春樹「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」

ぽっちゃりした女の子に連れていかれた先は…

あらゆる命の危険と鉢合わせしてしまう、
不条理な世界、ハードボイルド・ワンダーランドと
静かでひそやかで、ただ淡々と黙々と日常がすぎていく世界の終り。

二つの異なる世界観でのお話が同時進行していく。

村上春樹が作り出す、不思議で奇妙な世界へ。

れんげ

こんにちは、れんげです
この記事を書いている私は、年間読書量250冊の小説好きインドア女子です。読んだ本の正直な感想、考察をここに書き留めてます。興味があったら読んでみてください。

今回読んだのは、村上春樹さんの『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』です。

おすすめしたい人
・ダークファンタジーが好き
・物語の続きを自分で想像したい
・村上春樹の作品が読んでみたい

あらすじ

本作は2つの物語が並行して進められていくため、ひとつひとつにわけてまとめます。

『ハードボイルド・ワンダーランド』
主人公の「私」は、「組織」に雇われる「計算士」として、仕事を依頼されたある老博士のもとに向かい手伝い始める。が、そこで勝手な使用を禁じられている「シャフリング」という技術を使うことを依頼される。
「組織」と敵対する「工場」という存在がある。工場は、暗号化された情報を解読して盗む活動を行なっている。老博士の研究をシャフリングした「私」が鍵を握っているとわかった今、「組織」と「工場」の双方が「私」を狙い始める。

『世界の終り』
壁に覆われた外界と隔絶された街にやって来た「僕」。街の住人は心を喪失し、喜怒哀楽のない平穏な日々を送っていた。違和感を感じながらも「夢読み」という職についた「僕」は自身の「影」と切り離されてしまう。

別れ際、ここから一緒に脱出しよう。そのために街の地図を作成するよう「影」に頼まれた「僕」。この変わった世界から出たい気持ちがある一方で、図書館の女の子や、発電所の青年と話すうちに、街の正体に気づき、魅力を感じ始めた。

そして、「影」の寿命が迫った日、二人は計画通りに街の出口である湖に向かうのであった。

-この物語の魅力-

二つの物語が交互に語られ進んでいくためこの二つがいずれどのように交わっていくのか、どのような位置付けなのかを考えながら読み進めていくのはとても楽しめました。

上下巻、とても長く論理的な説明や横文字もたびたび登場し多少の読みづらさはありますが、登場人物たちのリズミカルなやり取りや人の感情発生の原理、人が抱える負の感情や闇について考えさせられ、一筋縄にはいかない物語展開に魅力を感じます。

個人的に目が離せなかったのは、
掴みどころのない登場人物たちのやりとり
と、二つの異なる世界観。

村上春樹さんの作品によく登場する二つの世界をどう読むかは読者に託されてるのです。
読者の想像力をこれでもかというほど膨らませてくる彼の物語、世界観につい夢中になってしまいます。

直接的な表現を使うことなくあらゆる比喩を用いる村上春樹さんがこの物語で言いたいこととは。表現したかったこととはなんだったのか。何度も読み直さないと明確にはつかめそうにない著者のメッセージにもまた魅力を感じずにはいられません。


<<この先ネタバレあります>>

-この物語の考察-

ここからはこの作品を読んだ私の考察をまとめていきます。(まとめられればいいのですが..^^;)思いっきり本筋から脱線しているかもしれませんし、全くの検討違いなことを言ってるのかもしれません。

物語を読む楽しさ(だけ)は伝わってほしいなって思ってます。

同時進行する二つの物語の繋がり

物語は、”私”が主人公「ハードボイルドワンダーランド」現実世界と”僕”が主人公の「世界の終り」観念世界を舞台にした物語二つが並行し進んでいきます。

ハードボイルドワンダーランド
計算士である私が老博士の実験を手伝う名目で、あらゆる危険な目に遭遇し、不条理な運命へと引きづられていきます。

世界の終り
壁に覆われ心を持たない人間たちが暮らす世界。そこに”僕”という主人公が降り立ち、これまで彼が見たこともない人・環境の中で暮らし始めます。

この二つの世界の分離は、老博士の好奇心による実験により主人公の脳内に”第三の意識”を作り出してしまったことで生じたのがきっかけでした。

周囲から完全に遮断された空間(世界の終り)とお酒や音楽を楽しみ、女の子と食事をしたりするハードボイルドワンダーランドの二つは、全て主人公自身の中に存在しているものでした。

第三の意識が現実世界を侵食し始め進行を食い止めることが不可能と知った主人公は、
感情が喪失する観念世界で生きるために、現実世界ではやがて死を迎えることとなります。

一方、世界の終りでは、壁に閉ざされた街から脱走を試みる”僕”だが、自らの母体である影だけを現実世界へと逃し、心を失った女の子と共に街に留まることを決意したのでした。

現実世界と観念世界、どちらが勝つのか、
それぞれの主人公たちの迷いと葛藤が描かれていました。

第二の意識 – 世界の終り-

心を奪われ悲しみも苦しみも感じない世界を完全とするならば、
感情に振り回される現実世界を不完全な世界と呼ぶ、どちらが公正な世界なのか。

「心が消えてしまえば喪失感もないし失望もない、行き場のない愛もなくなる。ただ生活だけが残る。静かでひそやかな生活だけ。」

人は目的や意味もなくやりたいことをするし、絶望感や悲しみも感じなくなる。だけど、同時に喜びや愛されることで感じる温かさも感じることができなくなってしまう感情を一切捨てなくてはならない世界。

ここにきて間もない主人公「僕」が”世界の終り”で暮らしていくことで目にするもの、この場所に対しての印象、夢読みという仕事を通して出会った少女に対して湧いてくる感情が変化していく様子がとても面白いのです。

ここでの葛藤は、引き剥がされてしまった母体(影)についていき現実世界へ逃げるのか。

それとも、この世界が自分自身で作り上げたと気づいた今ここで出会ったもの・人を見捨てられず、また恋心を抱き始めた図書館で働く女性の心を取り戻すためこの街に居続けるのかなのだと思います。

影は何度も何度も筋が通り正当と言える説明(ここから抜け出して現実世界へ帰ること)していますが、最終的に僕はそれを選ばなかった。

この意味が指すことは世界の終りに登場する「森」にヒントがあるのでしょうか?

第二の意識 – 森 –

心を捨てられなかった者たちが暮らす場所、「世界の終り」に住む住人は誰も近寄ろうとしないエリアが存在します。

発電所で働いている若い男、そして図書館で働く少女の母親は心が捨てられず森に追放されるのですが、みなが心が捨てられない弱い人間のようなどこか蔑んでいるような目を向けている印象を受けます。

森で生きることがいかに危険で過酷か—

ここから一刻も早く脱出したいと願う「影」が僕に必死に説明しているシーン。

それでも主人公は影と一緒に逃げることも心を捨てて街に居続けることも選択せず、心を捨てずに森で生きることを選んだ僕。

この選択は、街で出会った人たちを忘れたくない、見捨てたくない、
悲しみや苦しさ、痛みを抱えながら生きていくことを選んだことになるのでしょうか。

深い悲しみの中でも大事な人のことを想い続けたい。
忘れたくないという強い想いが伝わってきました。

 

最後に
考えれば考えるほど深掘りできる村上春樹さんの作品。
もちろん、深く考えずに読んだ文章をありのままに感じる楽しみもあります。そこがいいですよね。答えがない、出口のない物語.. 私は大好きなのですが、この記事を読んでいるみなさんはいかがでしょうか。

最後までお付き合い頂きどうもありがとうございました。
本日も良い1日をお過ごしください✨

それでは。

れんげ

 

 

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